慈尊院のお参りを終え、拝堂奥のほうに進むと、「丹生官省符神社」と書かれた石碑と119段の石段があります。慈尊院の表門からこの石段まで、あっという間の距離です。いずれも弘法大師の創建、明治期の神仏分離令までは一体だったそうです。
石段の途中、右側にあるは高野山に続く町石道の起点である180町石があります。
町石を過ぎ石段を登り切ると、きれいな朱塗りの鳥居、そして鳥居の向こうに拝殿が見えます。
丹生官省符神社
2011/06/08
こじんまりとした神社ですが、春は桜、秋は紅葉がきれいようです。慈尊院と合わせて、弘法大師の時代からの歴史と共に、山に囲まれた自然を楽しめます。駅からもそう遠くない、気軽に行ける世界遺産です。
簡素な拝殿の奥には、朱色が映える本殿が見えます。その拝殿の右側には干支の兎が描かれたものが、左側には弘法大師と男性、そして白黒の犬が描かれた大きな絵馬があります。
とはいえ、歴史と古くからの信仰の集まる場所であると思うと、神聖な気持ちになります。
御朱印は本殿向かって右側にある社務所でいただけます。御朱印には、社名に加え、「弘法大師創建」「官省符」「高野山町石道登山口」の印があります。官省符とは、租税の免除が認められた荘園に対して発行されるもので、つまり中央政府に指図を受けない格の高さの表れでもあります。
社務所で神主さんと少しお話しした後、社務所脇の道から町石道に入り、高野山に向けて山を登り始めます。
弘法大師が京都・東寺を出て霊場を開く場所を探していたときのこと、狩人の姿を借りた神が、大師の前に現れ、2匹の犬を放して高野山まで案内させてたという伝説にちなんだ絵だと思われます。
境内はこれでほぼすべて。「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されていますが、正直ちょっと拍子抜けしてしまいます。