「女人高野」と呼ばれる寺院はいくつかありますが、慈尊院もそのひとつです。
弘法大師の母公が「わが子の開いた山を見たい」とこの地までいらっしゃいましたが、当時、高野山は女人禁制だったため、慈尊院に住まわれました。そして、大師は毎月9回、慈尊院の母を訪ねられたといいます。そのため、慈尊院の辺りは「九度山」という地名が付けられました。
そして、麓から高野山根本大塔につながる「高野詣」の参道である「町石道(ちょういしみち)」の出発点でもあります。
慈尊院
2011/06/05
この慈尊院は、初めて御朱印をいただき、神仏霊場の巡拝を始めるきっかけとなった思い入れの深い寺院です。御朱印集めがただのスタンプラリーのようになってしまいそうなときもありますので、そんな時は初心に帰るため、またこの慈尊院を訪れたいと思います。
そうした経緯もあり、女性から厚い信仰を集め、女人高野と呼ばれるようになり、安産や子授けを記念する乳型が奉納されています。
そんな慈尊院には南海高野線九度山駅から徒歩30分弱で到着します。山門をくぐると、まず正面に多宝塔が見える、はずなのですが、残念ながら改修工事中のため覆いがされています。慈尊院といえばこの多宝塔が有名で、仏塔古寺十八尊霊場の第6番札所にもなっており、それが見られないのは残念ですが、またの機会に、ということで。
山門を越えてすぐ、右側にあるのが大師堂です。そこから左側にはお地蔵様や仏様の像があり、さらにその奥に、本堂である弥勒堂があります。
大師の母公が弥勒菩薩に化身されたといい、大師が菩薩像を自作され、御本尊としたとされています。慈尊院という寺院名自体も、弥勒菩薩の別名が慈尊であることから付けられたものです。
本堂の向かいには拝堂があり、奥に進むと噴水のある広い広場に出ます。噴水を囲むように庫裏、大師像、鐘楼、稲荷弁財天があります。
御朱印は本堂と向かい合うところにある拝堂の納経所でいただきました。
神仏霊場の御朱印はすでに以前いただいていたので、今回は慈尊院オリジナルの御朱印帳を購入し、こちらに御朱印をいただくことにしました。
また、この日は慈尊院から町石道を歩き、大伽藍、そして奥の院まで行く予定でしたので、そこでいただく御朱印も1冊にまとめ、「高野山専用御朱印帳」とすることにしました。
御朱印をいただくときに奥の院まで行く予定はあるか尋ねられ、そのつもりだと答えると、御朱印帳の最初のページを奥の院用に空け、次のページに書いて下さりました。奥の院はやっぱり特別なようです。